私は音楽の理解が出来る程にその分野の全てを知らない。
むしろその理解に遠く及ばない。
ただ、これを考える事が音楽の理解を促し、その過程を有意義にするものとなれば良いのではないかと思う。
恐らく、最初に知るべき事は音楽と呼ばれるものについての完全なる理解は不可能だという事だろうか。
時が流れるに従い人も環境も変わればその嗜好性や文化自体が変化する。
技術が変わる事もあり、変化のない物はそうはない。
だからこそ、人間の生物としての機能や、地球上における物理が変わる事がない限りはクラシック音楽、アコースティック音楽と呼ばれるモノがこの世界の普遍を感じ、自己の存在認識において大きな役割を持つであろう。
音楽の理解は多くの時間を使っても、それでも追いつかない膨大な世界だ。
もし、音楽の理を知ろうとするのなら音楽としての側面からのアプローチだけでは難しいだろう。
音楽を学ぶ者の多くの人が過ちを犯しているように感じているが、楽曲、音楽を多面的に見れていないのではないだろうか。
音楽の理解の語りは、その性質上は絶対的なまでに、ただの物理現象である。
演奏家がアスリートとしての性質を知らずして演奏を学ぼうとするのはとても愚かしいだろう。
人の意識された運動によってもたらされた音を用いて、色々な音程やリズム、和音で重ね並べたモノになる。
「音楽とは時間的に組織された音と静寂である」
「音楽とは触れる事の難しい物理世界による人間の挑戦だ。」
人が音楽の認識に役立てているのは記憶である。
シグナルかノイズなのか。
目に見える環境の中で肉体が適合しえない場所は聴覚の側面でも存在する。
ちゃんと音は肉体に影響を与えることが出来る。
その力を知り、古くは3400年前にも歌は存在し、更には数万年前に骨で出来たフルートが存在していた位だ。
長い時間をかけて人は音を昇華し、自然淘汰と革新を繰り返し音楽として進化させ続けたのだろう。
ダーウィンの進化論は、音楽でも同じ様に機能していたという論文が(Proceedings of the National Academy of Sciences、PNAS)に掲載されている。
何故、その楽曲は生まれたのか。
生まれる必要性があったのか。
人の記憶の中にある物理現象と音との関係性から多くの楽曲が出来ているのだろう。
’’音楽の理解とはこの世界の全ての理解と同義であるのかもしれない’’
The Oldest Known Melody (Hurrian Hymn no.6 - c.1400 B.C.)
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